通勤途中の小さな一歩:地域の見守り活動で見えた日常の安心とつながり
地域の安全が気になるように
子どもが小学校に入学してから、毎日の通学路の安全が気になるようになりました。学校や自治体からの配布物、回覧板などで、地域の見守り活動のことが紹介されているのを以前から目にしていましたが、仕事と家事、育児に追われる中で、「特別な活動に関わる余裕はないな」と思っていました。
しかし、子どもが一人で登下校するようになり、「何か地域の安全のために、自分にできることはないか」という思いが少しずつ強くなっていきました。そんな時、改めて回覧板で見かけたのが、「通勤・買い物のついでにできる見守り活動」という小さな募集記事でした。大々的なイベントや長時間拘束される活動ではなく、「ついでに」という言葉に、私でもできるかもしれない、と興味を持ちました。
短い時間から始めた見守りの日々
募集の説明会に参加してみると、特別なスキルや体力は必要なく、子どもたちの通学時間帯に、通学路に立つ、歩く、といった短い時間でも協力できるとのことでした。決まった制服や腕章があるわけではなく、地域のボランティア団体が推奨する色の帽子やベストを着用するスタイルです。
私は、まずは週に一度、出勤時間より少しだけ早く家を出て、子どもたちの通学路になっている交差点に数分間立ってみることから始めました。最初は何となく落ち着かない気持ちもありましたが、すぐに子どもたちの元気な「おはようございます!」という声に励まされました。
私の担当する時間はごく短いものでしたが、交差点に立って子どもたちが安全に道を渡るのを見守る、ただそれだけの行為が、自分の中で少しずつ意味を持つようになりました。
感じたこと、気づいたこと
短い時間でも見守り活動に関わるようになって、いくつかの変化を感じました。
一つは、地域の子どもたちの顔や名前を少しずつ覚えるようになったことです。毎日同じ時間帯に同じ場所で見守っていると、自然と顔見知りになります。子どもたちが嬉しそうに話しかけてくれたり、立ち番をしている他の地域の方々と挨拶を交わしたりする中で、地域の中に自分の居場所ができたような、ゆるやかな「つながり」を感じるようになりました。
また、他の見守りをされている方々とも、簡単な挨拶を交わすようになりました。皆さん、子どもたちの安全を願って、それぞれの「できること」をされているのだと感じました。定年退職された方、お店の開店前に少しだけ立たれている方など、様々な方がいらっしゃいます。短い時間ではありますが、地域の一員として子どもたちの安全を見守る、という共通の目的を持つことで、世代や立場を超えたつながりが生まれていることに気づきました。
もちろん、雨の日や体調が優れない日など、予定通りに見守りに立てない日もあります。そんな時は無理せず、できる範囲で続けることを大切にしています。「完璧でなければ」と気負うのではなく、「やれる時に、やれることを」という気持ちでいることで、無理なく継続できています。
日常の中の安心と地域への愛着
この見守り活動を通して、子どもたちの安全が、特別な人々の活動だけでなく、私たち地域住民一人ひとりの日常の中の「少しの意識」や「小さな行動」によって支えられていることを実感しました。私自身も、見守る側になったことで、地域の風景が以前とは違って見えるようになりました。どこに危険な場所があるか、子どもたちがどんな様子で歩いているかなど、自然と安全への意識が高まったように思います。
そして何よりも、子どもたちの元気な挨拶や笑顔に触れることで、地域への愛着が深まりました。「この地域で子どもたちが安心して育つように、自分も少しでも役に立ちたい」という気持ちが強くなりました。
仕事や子育てに忙しい日々の中でも、通勤途中のほんの数分からでも始められる地域の見守り活動は、私にとって、地域との無理のない、しかし確かなつながりを感じられる大切な時間となっています。地域には、探してみると、私たちのできる範囲で貢献できる機会が、日常の中に溶け込むように存在しているのかもしれません。